2011年12月5日月曜日
間伐作業
桜で有名な高遠の伊那を訪ねた。新宿の森として沼田、あきる野の植林事業があるがここは植林でなく間伐が必要であるという。
林野業の衰退から森林の管理が出来なくなり新宿区で御手伝いをしようとの試みである。
20メートル強の赤松林に乱立している不要な木を切り倒す作業は危険であり慎重を期す。切り倒すときに周りの木にひっからないように切る断面の角度を
見定めながらチェーンソーを入れる。
切り倒した樹齢は年輪を数えてみたら65だったので奇しくも同年輩の樹木であった。切り株から松の良い香りが広がった。
松林の中にいずれ朽ち落ちる運命のサワラ、ヒノキの比較的低い木を鋸で切って、クリスマスツリーを作り孫娘に持ち帰った。
2011年11月8日火曜日
2011年10月29日土曜日
あきる野 植林
新宿区がカーボンオフセットとして始めた植林イベントに参加してあきる野を訪れた。近くの五日市カントリークラブはゴルフで行ったことあるがこんな
近くに同じ東京都の自然豊かな森が広がっていたなんて知らなかった。山道が極端に狭く急斜面の山で石がごろごろしている山勾配のきつい所にケヤキ、
栗、紅葉、桂、榎の苗を1千本植えた。新宿区から参加した小学生も現地参加の子供たちと植林通じて仲良くなっていた。長野県のブナ植林も良かったが
近場の東京都での植林は気楽に行けるのが良い。地元の方々の手作りの御馳走、お囃子披露、近くの山で猿が遊んでいるのが見えた。地元の号外ニュースとして地元でロケした”五日市物語”が今日から映画上映されるので大喜びであった。時間見つけて映画を見てみよう。
2011年10月24日月曜日
妙高蕎麦刈り
蕎麦刈りシーズン到来。東京出発時は生憎の雨であったが妙高まで2台の車に8人の仲間が参集した。長野に近くなるにつれ雨が降っておらず何とか刈り取り出来そうな雰囲気であった。
雨が降ったら飲むこと以外なさそうなので新潟港から直送の魚屋に立ち寄り大きなブリを三枚におろしてもらいアラをブリ大根にしようと大根購入。
現地においてある軽トラに乗り換えて作業開始し昼飯抜きで刈り取ってしまおうと意気込み作業開始。腰が痛くなって一休みしているときに新米のお握りの差し入れがきた。疲れていてお腹が空いているときのお握りは本当に美味しい。
一段落したので春に駒打ちしておいたシイタケ、平茸、ナメコ見てみたが不作でがっかり!サツマイモも不出来であったのは自然のなせる技であろうか。
大宮でもサツマイモは不作であったがジャガイモはどちらも大豊作であった。
翌朝も雲行き怪しかったがともかく急いで刈り取ってしまおうと、新たに駆けつけた3人の仲間と気合をいれて無事完了した途端に雨が降り出した。
まさに間一髪のタイミングであったが全員が頑張ったので神様がご褒美くれたのであろう。
2011年10月17日月曜日
庭園巡り
古河庭園とバラ園を見ようと飛鳥山まで都電で出かけた。飛鳥山も初めてであったので立ち寄ったが自分の年齢とほぼ同じ時期に製造された蒸気機関車
D51が公園におかれていた。
70年前に造られたというのにピカピカに磨き抜かれて堂々として見事なマシンである。渋沢栄一の記念館があったので寄ろうと思ったが生憎休館日であった。
本郷通を歩いていくと古河庭園のバラ園にでる。まだ5分咲き位だが古い建物をバックに綺麗なバラが良い香りを放っていた。
土曜日にバラ園でのコンサート開催されるので22日は蕎麦狩りで駄目なので29日にでも又来てみよう。
本郷通りをさらに進むと駒込の六義園に行けそうなので寄ってみることにした。六義園の枝垂れ桜と見事な庭園は一度行ったことある。
紅葉の時期にはまだちょっと早すぎるので29日に再度足をのばそう。途中でトラフグの生簀が店先にあった。
雪景色の六義園もよさそうなのでこのトラフグとの組み合わせも良さそうだ。
2011年10月16日日曜日
都電に乗る1
古希を迎えていよいよ人生のホームストレッチに入った。都内在住の先輩の勧めで東京都のシルバーパスを購入した。このパスを利用して余暇を楽しむノウハウを教えてもらったが成程今まで知らなかったこと数多い。
今日はインデアンサマーみたいな夏日であったので都電荒川線の花電車を見てみようと近くのバス停までいって鬼子母神まで乗った。バスに乗ったのは何年ぶりであろうか?
思えば都電に乗ったのは上野→浅草間であったようなおぼろげな記憶があるのみだ。勿論この荒川線は初めてでなかなか趣がある何となくほっとする電車だ。
今までバスに乗ることもほとんどなく不慣れであったが時間が十分ある今はアイポッドで音楽でも聞いていればスピード遅いとかは全く気にならない。むしろ街の眺めは興味深い。
鬼子母神で都電に乗り換える。のんびりしたスピードでゆっくり走る車窓から下町を見るのも何となくほっとする。東池袋、大塚、町屋、三ノ輪までぼんやり眺めていたらあっという間に終着駅であった。
今日は都電開通100年祭りとかで花電車が走り多くのカメラマンが待ち受けていた。
2011年9月17日土曜日
半世紀ぶりの北海道 完
半世紀ぶりの北海道11
2011年9月16日金曜日
半世紀ぶりの北海道10
2011年9月15日木曜日
半世紀ぶりの北海道8
函館の街をぶらぶら歩いていたら高田屋嘉平の資料館が見えた。昨年サンクトぺテルブルグで大黒屋光太夫をを思い起こしたときのことがまた蘇った。
昔の海の男はとてつもない勇気と根性を持っていた。荒れた冬の日本海、極寒のシベリヤ越えてはるかサンンクトまで行くことなんで想像を絶する。
”菜の花の沖”を読んで感激した高田屋嘉平は今の政治家に爪の垢でも煎じて飲ませたいほど日本国特に北海道を愛していた。彼はロシアと毅然とした哲学を持って謂わば外交交渉を行った。
中でも現在は殆ど話題にすらなっていない北方領土問題に関して日本の政治家は一体何をやっているのか?
歴史事実を主張して何故交渉しないのか今の政治家には歯がゆさを覚える。歯舞、色丹などは彼の残した記録にもはっきりと根室の付属群島であると明記されている。ロシアは日本の南方、竹島、尖閣島問題で腰砕け姿勢を読み切ってここぞとばかり北方4島をもぎ取ろうとしている。何と情けない 高田屋嘉平みたいな気骨もつ政治家を切望してやまない。
2011年9月13日火曜日
半世紀ぶりの北海道7
2011年9月12日月曜日
半世紀ぶりの北海道6
半世紀ぶりの北海道5
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