2009年10月26日月曜日

昨年か一昨年に駒打ちしたナメコが顔をだしていた。
少し持ち帰って味噌汁にして楽しもう








珍しい食べ物がでた。マコモ竹という笹の大きい茎に大きな瘤みたいなものが付いている。
これ瘤の若い柔らかそうな所を割いて食べる。
持ち帰ってコンニャクとキンピラにして食べてみた。
メンマみたいな歯ごたえがあり旨かった。












しだれ鶏頭だろうか始めてみるまるで毛玉みたいだ。

 




妙高の蕎麦刈りの季節になった。里山の景色を見ながら作業するのは腰が痛いのも忘れさせてくれる。

この刈り取った蕎麦を早く賞味したい。
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2009年8月16日日曜日

やった~二人目の孫誕生!





うれしいな~


3年前に娘の所で女の子が生まれた。この子はもうはや3歳で可愛いさかりだが、3年前の感動を思いだしてその当時に使用していたブログ記事を引きだしてみた。(http://plaza.rakuten.co.jp/parkas)

""""

待ちに待ったベービーが誕生した。大きなお腹を抱えた娘に今日はご機嫌いかが?と1週間以上も毎日聞いいていたので待ちくたびれていたが病院に入り翌日、無事女の子が誕生し早速面会に出かける。娘が小さな赤ちゃんを抱きかかえているのをみたら今まで娘に対して持っていた愛情みたいなものが孫娘に移るような感動を覚えた。これから彼女の成長を見守る楽しみが増えたぞ 嬉しい限りだ。""""

今度は息子のところの女の子だ。早くだっこしてみたいが名古屋にいるのでしばらくお預けだな。

2009年7月29日水曜日

名古屋にて





 




4年前の地球博以来の町だ。あのときは金の鯱が地上に降ろされ長蛇の見物客が長蛇の列を組んでいた。

お城のすぐ隣に相撲取りが歩いていたり幟が並んでいたので名古屋場所であること思い出した。

日馬富士の後援者の名前が焼肉釜山と琴将菊のそれが金剛幼稚園だったり面白い。

街を歩いていたら白壁町、白壁が統一されていてこの一角だけがレトロ調になっている。

偶々、銀行で通貨展示会やっていたので入ってみた。冷房が効いていて心地いい。

この時期は東京でも特に名古屋は蒸し暑くちょっと歩くだけで汗まみれになる。

インフレ高額紙幣としてゼロがいっぱい並んでいるユーゴ紙幣があった。

世界最高のhハンガリー10億兆ペンゴ紙幣でゼロが21個とか。

自分が経験したのはベトナムドンで桁数が大きいので金持ち気分になれる。






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2009年7月28日火曜日

伊勢、犬山






 




伊勢神宮を訪ねるのは30数年ぶりになるであろうか?

昔に感じたことと今とはまるで違う。

樹齢600年以上の杉の大木に囲まれた神社をみていると

厳粛な気分になる。

木曽川を面して犬山城が聳え立つが以外と小さな城だ。

犬山でも鵜飼いが盛んだったらしいがこの地に織田信長の

弟である織田有楽斉の有楽苑茶室が国宝として残っていた。


信長という気性の激しい兄を持った弟がこんな茶人として

長寿を全うしたこと知って興味深かった。








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南紀 熊野古道を歩く






 




平安時代から熊野権現詣でが盛んに行われていた。南紀の原始林を苦労して行脚するのはどんなことか。

蟻の熊野詣でといわれた中辺路(なかへち と読むのも知らなかった)から古道に入ってみた。

勿論、昔はこれ程歩道が整備されている筈がないであろうがちょっと歩くだけでも気分がいい。

昔の人は何を思い苦労して熊野詣でをしたのであろうか? 悠久のロマンみたいな感慨に浸れる。
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2009年7月27日月曜日

高野山







 
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標高が1000Mもある高野山は気候が変化

しやすいのか雨が降ったりやんだりだった。

突然、青色の紫陽花一色の斜面が出てきた。

ここで高野山に献花する石楠花等を栽培しているとか。

空海の真言宗の総本山であるが宗派に拘らず仏教

の聖地であるような雰囲気が漂っている。

歴史上の人物、義経、信玄、謙信、芭蕉、

親鸞聖人から現代のヤクルト等の名前も刻まれている。

600年以上前の杉の大木に守られた広大な墓地

は整然として幽玄さを感じさせる。お墓には高野マキが

供えられここではマキが主役みたいだ。

2000人分炊ける大飯釜が3個並んであった。

何と一度に280KGものご飯が一度に炊ける由。

南紀、伊勢を訪ねる1




















息子が名古屋転勤になり出産を迎える機会にちょっと足を延ばして南紀に出かけた。

高野山の麓を流れる紀ノ川。

ここで正に麗人という言葉が浮かんだ85歳の素敵なお方にお会いできた。

見事な庭園の手入れし眺めながら茶道、お琴を楽しまれ、可愛い人形を長年にわたって丹精込めて作成されている。

信じられないような細かい作業で根気のいる手作業なのに頭の中で構図を描いたままに手が動いていくという

が人形の顔は皆微妙に異なっている。

裏庭には八朔を栽培されていてもう早くもたわわに実を結んでいた。

畑作業の毎日は草取りから始まっている。

この八朔は今年初めに送って頂いた無農薬で美味しく、ここで育つから成程と納得できる。

麗人のお話を伺っていて、自然との毎日の付き合い、音楽、心の安らぎを求めて好きなことに没頭し加えて極

め付きは人の喜ぶことに生きがい求める。

自分もいつかこのような心境になりたいと思うもののまず不可能であろうか。

運転免許の更新をもう一度だけやるつもりだとお聞きして勇気とすがすがしさお土産を頂戴してきた。

2009年7月1日水曜日

ロシアの思い出 ハイライト



 



ボリショイ劇場でジぜルをやっていた。カーテンコールは写真OKだといっていたが22人のバレーは見ごたえあった。ブラボー!

今回のロシア旅行で先入観が大きくかわった。でかい国だけに何事もスケールが大きくちまちましていない




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ロシアの思い出 街中で




 



ロシア語でもお馴染みのカフェが目立った。

ロシアのカラスはツートンカラーで小型で可愛らしい 雀と仲良くパンくずを食べていた。
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2009年6月30日火曜日

ロシアの思い出 ウラジミール







 

 

モスクワより300Km位ドライブしてウラジミール、スーズダリに出かけた。モスクワでは個人の住居はマンションだけみたいだが田舎に入ると農家が

点々と見えだす。雪対策であろう屋根の勾配が急な設計で窓が小さいながらお洒落な飾りが目立つ。

此処は中世の名残が多く残っており小高い丘の上にある大聖堂の裏手に十字軍の騎士像があった。

東から攻めの登ってくるモンゴル軍をこの丘の上から十字軍が迎え撃ったのであろうか何かロマンを感じさせる所だ。

スーズダリにはクレムリン(要塞)が残っており要塞のような修道院があった。この修道院にはスターリン時代の写真が多く展示されており政治犯が監禁

されていたのではないかなと推測した。説明文がロシア語だけなのでガイドなしであった今回は推測だらけであるが当たらずとも遠からじか。

鉄道の線路を越えて野原を1Km位歩いた平原にポツンと教会が建っていた。直ぐそばに大きな池があったが、ビヤダルおばちゃんが楽しそうに泳ぎながら

手招きでおいでおいでと呼んでいた。池といっても沼みたいなしかも由緒ある教会の前ではとしり込みして断った。

教会の中に入ってみると古い写真が沢山は残っていて雪解けの季節かあるいは大雨の時は池が広がって教会のみが池の真ん中に残されるみたいだ。
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